私は専門学校で看護師免許を取得した後、
さらに学びを深めて「保健師」と「助産師」の資格も取得しました。
過去には、最先端の医療現場で看護師・助産師として患者さんと向き合い、
現在は「産業保健師」として、企業で働く人々の健康を支える仕事をしています。
「看護師の資格を持っている人は、どんな場所でどんな仕事をしているんだろう?」
「看護の世界って、病院以外にも広がりがあるのかな?」
そんな疑問を持っている方へ向けて、今回は私の実体験をお話しします。
私の周りにも、保健師免許を持ちながら20年以上助産師を一筋に続けている方や、数年の助産師経験を経て行政保健師へと転身した方など、さまざまな方がいます。
皆さんそれぞれが強い志を持ち、自分の選んだ道で活躍されています。
そこで今回は、私自身の歩んできた道を振り返りながら、次のテーマを中心にお届けします。
- 看護師を目指したきっかけと理由
- 専門学校で学んだ「医学としての看護」
- 災害で気づいた「地域を支える看護」
- 祖母の病気から見えた「予防医学」の重要性
- なぜ大学で公衆衛生を学ぶ道を選んだのか
「看護=病院で働くこと」というイメージをお持ちの方や、これからの進路に悩んでいる方に、
「看護という未来の選択肢の広さ」を感じていただけたら嬉しいです。
■看護師を目指したきっかけと理由
人が倒れる瞬間を、あなたは見たことがありますか。
身内が〇ぬかもしれない——
その恐怖や絶望は、当時小学生だった私には受け止めきれないほど大きなものでした。
それは、ある朝、祖母が目の前で倒れた日のこと。
祖父が2階に住む両親に向かって 「おい!!祖母が!」 と叫んだ声で、目が覚めました。
何が起きているのか分からない。
ただ、祖母が危ないということだけは、認識できていました。
そんな中、迷いなく祖母に駆け寄り、救命処置を始めたのは、看護師である母でした。
その姿を見たとき、 看護師という職業の偉大さを初めて気づかされました。
この時、「人の命を守れる人になりたい」
この出来事が、私が看護師を目指したきっかけとなり、
看護師、助産師、保健師の資格を取った始まりにもなります。
■ 学力と経済の現実の中で選んだ専門学校
高校生になっても看護師になりたい気持ちは変わりませんでした。
でも、進学するなら国立大学しか許されない「雰囲気」の家庭環境。
父も母も幼いころからすごく働いていたと思いましたが
子どもが3人いる家庭だったので、私だけ4年の私立大学に行くには十分とは言えない金銭状況だったのは子どもながらに察していました。
一番の問題は、部活だけ頑張ってきた人間が突然さぁ勉強!といって、勉強ができるわけがなかったこと。
それでも看護師になりたい。
その一心で、学費が抑えられる専門学校を選びました。
実習先や就職先の充実度も高いところの専門学校であったこと。
この選択が、間違いなく重要な点だったと感じています。

■ 専門学校での3年間が、私の看護の基礎をつくった
入学してみると、そこは想像以上に専門性の高い学びの場でした。
うちの学校は、大学病院の教授が講義に来てくださることも多く、 医学・看護の基礎はほとんどこの3年間で身につけたと言っていいほどです。
学生数が多い中で、模試では順位が1桁に入るほど必死に勉強しました。
「勉強ができない」と思っていた自分が、努力でここまで来られたことは、大きな自信になりました。
■ DMATとの出会い、そして「看護」の広さを知る
専門学校に通っていた頃、私は「看護=病院で行うもの」というイメージを強く持っていて、
当時の私は、どちらかというと臨床(病院)で働き、もっと医学的な知識を深めたいと考えていました。
そんな私の価値観が変わった瞬間は、講義でDMATを知った時のこと。
DMATとは、災害派遣医療チームのこと。
DMATの活動は、病院だけでなく、被災地という混乱の中で人々の命を守る医療です。
私は東日本大震災を経験しています。
それは医療者ではなく、私は未成年で被災者として、です。
突然の停電、混乱する地域、情報が届かない不安。
災害時、医療機関は必ずしも機能しません。
たしかに、急性期に医療者が助けに来てくれるのは本当に心強い。
でも、大震災があったときは、被災地はたった1日では片付かない現実があります。
「病院に来られない人を、どう守るのか」
「地域全体の健康を、どう維持するのか」
むしろ、地域の中で「生活を守る医療」が求められます。
この現実を知った瞬間、
「看護は病院だけで完結するものではない」
という事実と、そして同時に、災害医療とは、まさに「公衆衛生」そのものだ。ということ。
・地域の健康状態を把握する
・感染症を予防する
・生活環境を整える
・弱い立場の人を守る
・社会全体の健康を維持する
これらはすべて、公衆衛生の視点がなければ成り立ちません。
DMATを知ったことは、
「医療は治療だけではない」
「社会全体を守る医療がある」
という新しい視点を私に与えてくれました。
この経験が、後に私が公衆衛生を学ぶ決意を固める大きな転機となりました。
■祖母の病気から見えた「予防医学」の重要性
看護師を志す原点となった祖母の倒れた出来事でしたが、
私は看護学生として学ぶ中で「もう少し早く気づけていたら」という思いを抱くようになりました。
病気が進行してからではなく、
もっと前の段階で予防できていたら、
祖母の未来は変わっていたかもしれない。
そう感じた私は、
「治療だけでなく、病気を未然に防ぐことこそ大切なのではないか」
という考えに強く惹かれていきました。
予防医学は、
・生活習慣
・環境
・働き方
・社会的背景
など、個人を取り巻く横断的な視点で健康を捉えます。
例えば、私の祖母は糖尿病を患っていました。
その背景を予防医学の視点で紐解いてみると、単なる「生活習慣」だけの問題ではなく、さまざまな要因が複雑に絡み合っていたことが見えてきます。
- 妊娠をきっかけとした糖代謝異常(妊娠糖尿病)の発症
- 多胎妊娠(子どもが1人ではなかったこと)による身体への負荷
事実、妊娠糖尿病(GDM)を経験された女性は、そうでない女性に比べて将来的に2型糖尿病(DM)へ移行・発症するリスクが約7〜10倍高いと報告されています。
このように、個人の病気や健康リスクは単一の要因ではなく、
ライフイベントや体質、取り巻く環境といった多角的な背景から捉える必要があります。
だからこそ、生活習慣や環境、働き方までを含めた「横断的な視点」で健康を支える予防医学が重要なのです。
祖母の病気を通して、私は
「健康は日々の積み重ねで守られるもの」
「医療は病院の中だけで完結しない」
ということを深く理解しました。
この気づきが、後に公衆衛生を学ぶ決意へとつながっていきます。
■なぜ大学で公衆衛生を学ぶ道を選んだのか
専門学校で看護の基礎を学び、
災害で地域看護の重要性を知り、
祖母の病気から予防医学の必要性を痛感した私。
これらの経験が一本の線でつながったとき、
「もっと広い視点で健康を学びたい」
という思いが生まれました。
病院での看護は、目の前の患者さんを救う力があります。
一方、公衆衛生は、
「病気になる前の人々を守る」
「社会全体の健康を底上げする」
という、より大きな視点を持つ学問です。
私は、
・地域
・職場
・家庭
・社会
それぞれの場で人々の健康を支えるためには、
公衆衛生の知識が不可欠だと感じました。
そして大学での学びは、
現在の産業保健師としての活動にも直結しています。
働く人の健康を守るためには、
医学だけでなく、社会学、心理学、経済、労働環境など、
多角的な視点が求められるからです。
「看護=病院」という枠を超え、
「社会全体の健康を支える看護」へと視野が広がった瞬間でした。
この続きは、また別の記事で。ゆっくり綴っていこうと思います。

